rhizome-archives

果風呂:根茎成長記録

オール・ユー・ニード・イズ・キル観た

漫画のほうはとなジャンで読んだので本は買ってません。
原作は読んでないので漫画は読んだ記憶のみ、映画は2日前にレンタルで鑑賞。

映画の方は一番に思ったのが脚本に感心しました。よく仕上げてるなあ。脚本家もすごいんだろうけど、メイキングで確認出来たのは脚本が無い状態から始めているので撮りながら脚本を作っていったと。たぶん大筋だけは決めておいてあとは現場でということだろうと思う。80校も編集したと言ってたし。

筋としては自然な流れで人物描写も織り込んでいて観ていてストレスはなかったんだけど、ケイジの役がああいう人物があんな展開であんな風に立振舞うかな?って疑問がぬぐえないのだけど、どっかのブログでリタの半開きの口みてたら守りたくなるよねっていう色々台無しな書き方の感想みてそりゃないだろ的なところはありながらも結局そこが一番しっくりくる動機になるかなあと思う。
ケイジは自分は兵士じゃない、冒頭で指切っても失神しますって冒頭で言ってるんだけど、こんな設定必要なの?って思って見てた。この人物設定をわざわざ入れてるのが特に空回りしてるようで気持ち悪かったんだけど、他のモブ兵たちは私は(僕は)戦士です!ってアピールし、後半ではリタもわざわざ私は戦士なんだから闘うと言っててここでこのゲームに乗っかってる理由として「戦士である」「戦士でない」っていうリタの為の役付けをしたのかなとオチをつけた。ケイジにはリタに対する想いが生まれる前として逃げ出してもギタイに付けねらわれ逃げられない状況※が用意されていたのに対し、映画版リタにはループで心折れないで挑戦し続ける動機が一切他に用意されていない。(恋人が目の前で300回も死んだとは会話していたが、この作品中では踏み込んでない内容なので置いておく)

※漫画の方を先に読んでいる為、設定や物語が無意識に補完している感じもあった。基地を逃げ出しても追ってくるギタイなんかは、漫画の方が分かりやすく映画でのシーンはちょっと分かりにくかった。

SFデザインや戦闘シーンについて。
メカメカしてるデザインは好みだった。ただアーマードスーツ:機動ジャケットは漫画の方が好き。※実際にアクションに使うには無理があるだろうけど
仕方ないのかなあと思うのはギタイのデザインで特にアルファがマトリックスのロボクリーチャーにそっくりだったこと、360度変幻自在なクリーチャーをデザインするとこういうパターンに…と説明してたけど特に問題に思わなかったのかなあと。似てるものはいくらでもあるしな、というわけで仕方ないかなあと思いながら攻防戦もなんかそっくりになってしまいここらも仕方ないかなあ………という感じ。

人物描写については好みの演出だった。何気ない会話だけで省かれたシーンを想像できるようにしてた点など。私はこの監督の趣向が結構好きなんだろうな。

漫画の方は人物の描く焦点がもう少し違うところに配分されてて、リタが初めてケイジの能力を認識し、もう自分は孤独でないんだと出会いに思わず涙ぐむシーンがとても可愛く美しくたった数コマなのに丁寧に描かれていた。
映画と漫画では描かれるシーンの配分が全然違っていて両方みると2度美味しい。原作読んでたらもっと美味しいんだろうなあ!

トム50歳

話が通じる相手を見つけたときの喜びというのは諸々すっとばして動機として成立する。
話が通じる=理解しあえるなんだけど、世界でたった一人理解出来る相手がどうしようもない相手だったらどうすんだって感じ。物語はいいカップルで良かったホントマジで。トムはスーパータフガイ。

クロエちゃんのキャリー(2013)も観たよ

ちなみにクロエちゃんのキャリーも観たよ。ジュリアン・ムーアの怪物ママっぷりもなかなか素晴らしく、髪ぼっさぼさシミだらけで信仰ポエム唱えてないと息出来なさげな日常が最強でした。あの反省部屋みたいなのって宗教の偉い人が個人の家にはつくっちゃだめだよとかお達しでもしておけばいいのに!懺悔は教会でやんなさい的な。

プロムでキャリーもその他モブさんたちも血祭りで大盛り上がりぃの、キャリー超能力発揮で血まみれで空飛ぶシーンは非常に禍々しく印象に残って絵的に良かったと思う。
いじめ側女子への報復とかはまあオマケみたいなものでした。
ってそのくせ超能力使えて最強少女爆誕なのに家に逃げ帰り「ママ、ママ」って保護者を探して回るのがとても憐れで、救われない感じがここで頂点に達してしまいあとはだらだら流し見になってしまった。
モダンな時代の映画には映画の尺と楽しみのリズムが現在とはかけ離れてしまってるなと思う。